×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

Youtubeで音楽を 岩崎宏美

Youtubeの音楽をご存知ですか。
Youtubeの音楽を沢山ご紹介します。



岩崎宏美
岩崎 宏美(いわさき ひろみ、1958年11月12日 - )は、東京都江東区出身の歌手、女優。所属事務所は芸映プロダクション → スリー・ジー。レコード会社はビクター → インペリアルレコード。愛称はヒロリン。

綺麗な発声と充分な声量、正確な音程でデビュー当初から実力派歌手として高い評価を受ける。1970年代以降の日本の歌謡界を象徴する歌手の一人である。

同姓同名の女優に岩崎ひろみがいる。これは岩崎ひろみの父親が人気絶頂期にあった頃の岩崎宏美にあやかって名付けたもので、こちらの本名はひらがな(芸名と同じ)である。両者に直接の関係はない。


1958年11月12日、木材機械の輸入販売会社を経営する父親の三姉妹の次女として誕生。歌手・女優の岩崎良美は3歳年下の実妹である。警察の師範も務めた父の影響で幼い頃から姉妹で剣道をやっており、どちらもかなりの腕前を持っていることでも知られている。

成城学園初等科入学と同時に歌のレッスンを受け、同中等科進学の後、歌手を目指し松田トシ(のちに芸名を「松田敏江」に改名)に師事。また当時中等科の同級生だった岡村清太郎(当時歌舞伎役者。現在は浄瑠璃清元の家元、七世清元延寿太夫)の縁で先代水谷八重子の部屋方となり、新橋演舞場に通う。中等科3年の時に『スター誕生!』に応募し、1974年3月3日、関東大会で代表選出、同年7月17日決戦大会に出場。小坂明子の「あなた」を歌いグランプリに輝く。

1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱 (デュエット)」でデビュー。2枚目の「ロマンス」が90万枚近い大ヒットとなり、細川たかしと共にこの年の新人賞を総なめにする。又この年、第26回NHK紅白歌合戦に初出場(歌唱曲は「ロマンス」)。
1976年3月、3枚目のシングル「センチメンタル」が春のセンバツ高校野球大会の入場行進曲に選ばれる。
1977年、堀越高等学校卒業。同期卒業生には森昌子、岡田奈々、池上季実子などがいる。同年秋、初のバラード「思秋期」が大ヒット、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。実力派の評価を不動のものにする。

1982年、前年9月より放送が開始された日本テレビ系の2時間ドラマ『火曜サスペンス劇場』の主題歌「聖母たちのララバイ」に問い合わせが殺到。当初シングル発売の予定は無かったが、200名の主題歌カセットプレゼントに28万通もの応募があった事から同年5月21日に発売。発売後2週目でオリコンチャート週間売上1位を獲得し80万枚の大ヒットとなり、同年11月、日本歌謡大賞を受賞する。また翌1983年3月には同曲が、二度目のセンバツ高校野球大会入場行進曲に採用された(なお、妹の良美も1986年に「青春」がセンバツ入場行進曲に選出された。姉妹ともに選出されたのは初)。

作曲は当初木森敏之とされたが、発売の2年前に公開された米映画『ファイナル・カウントダウン』のBGMの一つ「ミスター&ミセスタイドマン Mr. and Mrs. Tideman」との類似性が指摘され、後に「木森敏之・John Scott」と併記される。この余波で、外国人作家が関係する曲は選考の対象外であった事から、この年の日本レコード大賞ではノミネートに至らなかった。
1984年、芸能活動の方針を巡る相違から芸映プロを退社、個人事務所スリー・ジーを設立。以降ミュージカルに挑戦し、テレビドラマ『男女7人秋物語』に出演するなど、活躍の幅を広げてゆく。
1985年、独立第1弾のシングル「決心/夢狩人」を発表。カメリアダイヤモンドのCMタイアップも成功し、ヒットチャートを上昇、トップ20入りを果たす。続いてアルバム『戯夜曼』も好調、見事に独立を成功させた。
1986年、ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』に次女ホーデル役で出演。

同年10月21日、外務省が中心となって進めている日本文化交流「ジャパン・ウイーク」がエジプトで開催され、そのメインイベントに親善大使として招かれ、ピラミッドとスフィンクスの前でコンサートを開く。このライブは同年ビデオ化された後、2004年にCD-BOX『HIROMI IWASAKI 30TH ANNIVERSARY BOX』でDVD化、また2007年にライブCD-BOX『ROYAL BOX 〜スーパー・ライブ・コレクション〜』でCD化されている。なお同所で公演を行ったのは、ビートルズ、フランク・シナトラ、フリオ・イグレシアスに次いで世界でも四番目の快挙である。

1987年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演でファンティーヌを演じる。当たり役となり、以後も断続的に演じ続けていたが、2007年の公演を以って岩崎のファンティーヌは終止符を打った。
1988年、商社マンの男性(三井財閥の大番頭・益田孝の玄孫)と結婚(横浜市港北区に新居)、芸名も益田宏美に変更する。その後2児を出産し、主婦業と育児に専念する。その間、夫の仕事の関係でドイツに住む時期があった。が、その頃には既に夫婦仲が悪かったと後の雑誌のインタビューで答えていた。

1995年、協議離婚成立。離婚時に子どもの親権は夫側に、養育権は岩崎宏美側にわたる。後に前夫の再婚後、養育権は夫が得て、二人の子どもは前夫が引き取る。芸名を岩崎宏美に戻し歌手活動を本格的に再開。子どもとはその後も2ヶ月に1度のペースで会っていると、NHKの歌番組で公表していた。子どもに対する面会権の行使である。

2001年、かつての担当プロデューサー飯田久彦の招きで、テイチクが新規に立ち上げたレーベル「インペリアルレコード」に移籍する。

2007年、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演、ドヴォルザークホールにて収録したアルバム『PRAHA』を発表する等、現在も、コンサートツアー、アコースティック中心のライブやミュージカル、レコーディングなどを精力的に行っており、その誠実で大人の女性の艶やかさを持った歌声の評価は高い。



岩崎宏美 思秋期


岩崎宏美 - ロマンス




Copyright(C) Youtubeで音楽を 岩崎宏美 All rights reserved